みーるのひとりごと

ただのひとりごとです。

可愛い後輩とは。

突然の話題(いつもだけれど)。

 

ここ数日で後輩さんたちの可愛さを再認識しました。美人の後輩が、っていうわけではなく、みんな可愛い。よく考えたら中学の時も高校の時もそうでした。後輩さんはみんな可愛い。

 

一方でわたしは自分自身が可愛い後輩か考えました。先輩方に聞かなくてもわかりました。わたしは可愛くない後輩だと。

 

その差はなんなんだろうと思った時に、口のききかたなんじゃないかなと思いました。先輩がおっしゃることが違うと思うことも稀にあると思いますが、その時の口のききかた。わたしは何も気にせず率直に言っちゃうなあと思ったわけです。かたやわたしの後輩さんたちは、そんな時のものの言い方がすごく上手なわけです。

 

決して先輩を敬っていないわけではない。むしろ尊敬の気持ちは強いと自分で思っている。だけど、だからこそ認められたい気持ちや対等に話せるようになりたい気持ちが優って、そんな口のききかたをしちゃうのかなあと。

 

後輩さんたちは、後輩としてのわたしの師匠だなと思いました。勝手に真似しようと思いました。勝手に真似します。

 

おしまい。

苦しいことの乗り越え方

こんにちは。

突然ですが、最近よく「達観してる」と言われます。

 

その理由はきっと、「苦しいことの乗り越え方がわかっている」からだと、ここ数時間で思うようになりました。

 

苦しんでる人はいっぱいいますよね。やるべきことに追われ、やりたいことはなんなのかすらわからず、好きな人には嫌われ、好きな場所を失い…。きっと人生そんなことだらけです。

 

それを、「みんな苦しんでるんだから!」って励ますのは嫌いです。辛いもんは辛いし、人のことなぞ知ったこっちゃねーわって思います。

 

だけど、「苦しくてどうしようもないから死のう」って逃げるのも嫌いです。三十六計逃げるに如かずとは言いますが、死だけは避けたい。それ以外の方法なら逃げたって構わないと思うけど。死んで花実が咲くものか、とも言いますからなんとか生きていたい。

 

だから、「最悪の場合でも死にはせん」と思ってやり過ごすのが、わたしなりの苦しみの乗り越え方です。

大抵の苦しいことって最悪の場合でも死にはしないことなのです。逆に言うと、これはこのままだと死ぬぞという状況なら逃げるべきという判断基準にもなります。

 

どん底にいる場合はそこからさらにおちる気しかしないけど、実はあがる余地しかない場合が多いから、おちる気がするのを気のせいと思えさえすれば、あとはどうにかなるもんです。

 

 

と、ここまで言われてもきっと、頭ではわかっても心でわからない人が多いんじゃないかなとは思ってます。これが心からわかるひとは、わたしのように、「まだ10代なのに中身が40歳」とか言われちゃう人だけかと。

 

「明日も必ず生きていたい」と本気で思う日と、「今すぐこの世から消え去りたい」と本気で思う日、両方経験したら、こんな人間になりました。先に経験したのは後者、でもそこから死んだように生きていたら前者のような日も訪れました。その数日後に後者のような日が再び舞い戻ってきたけれど。

 

ってことで、人生そんなもんなんです。何かに期待しすぎず、だけど悲観しすぎず、程よく生きていきましょう。

この文章が、どこかの誰かの何かのためになりますように。

 

では。

「がんばる」ってなんなんだ

こんにちは。

 

最近、「がんばって!」とか、「がんばってます!」とか、「がんばります!」とか、なにかと「がんばる」を耳にすることが何故か多く、

「がんばる」ってなんなんだろう、とふと考えてみました。

 

言葉として、「がんばる」ってどういう状態のことを指すんでしょうか?

現状よりも力を発揮しようとすること?

実力の8割以上ぐらいの力を発揮すること?

実力を100%発揮すること?

それともやる気がめちゃくちゃあるとか?

 

と、ここまで考えたんですが結論よくわかりません。

いちおう辞書では、「困難にめげないで我慢してやり抜く。」と定義されてました。んー、なるほど。我慢が必ず必要なのでしょうか。よくわからない…。

 

 

ただ、なんとなく、「頑張っています!」という言葉が、わたしは苦手です。いいことも悪いことも全部いっしょくたにしてひっくるめちゃってるから、なんとなく苦手です。

 

だけど、頑張っている人が、「頑張っています!」と単純明快な言葉で主張しないとわかりにくい場面もあります。往々にして長ったらしい話は人の耳に入らないし、人をまず惹きつけるために「頑張っています!」は便利な言葉です。

 

 

これって別に「がんばる」という言葉だけじゃないと思うんですよね。

わかりやすい言葉が身の回りに溢れていて、わかりやすい言葉しか耳に入らない人もいて、

 

なにが言いたいかと言うと、

たまには言葉の端々に気を遣うような、繊細な世界に逃避したいなと思っちゃう

っていう話でした。

 

こういう、言葉について考えるのはわりと好きです。また違う言葉についても考えて書いてみようと思います。

 

では。

わたしがアイドル好きな理由

 

こんにちは。

 

あんまり知らない人もいるかもしれませんが、

最近アイドルの乃木坂46にはまってます。推しは齋藤飛鳥ちゃん。

ちなみに前もAKB48にはまったことがありました。その頃の推しは渡辺麻友ちゃん。

もっと遡ると、4歳ぐらいの頃は、「アイドルになる!」とも言っていて、マイクのおもちゃを持って歌っていました。

 

アイドル好きというと、ほんっとうに好きな人に殺されそうなので、普段あんまり言いませんけどね。

 

 

で、もちろん、可愛いからとか、綺麗だからとか、癒しだからとか、好きになる理由はいっぱいあるんですが、それなら別にアイドルじゃなくたっていいじゃないですか。

 

それなのになんでアイドルに憧れるのか考えてみました。

 

出た結論は、

「アイドルは目に見えてプロとしての仕事をしているから」

でした。

 

プロは世の中にたくさんいると思います。

だけどプロ意識の高さなんかを直接知ることができる職種は限られていて、

その中でも同年代の女の子がプロとして頑張っているというと、真っ先に思い当たるのはやっぱりアイドルなわけです。

 

辛い時でも笑顔とか、体調悪くて声が枯れてても最後まで歌って踊るとか、恋愛禁止とか。

そんな姿を見ていて、自分はどうかなーとふと思うわけです。大抵自分はダメだなーという結論には至りますが。

 

だけどそれ以上に、「よし、頑張ろう」と思わせてくれるのがアイドルなんじゃないかなと思っています。

 

 

ということで、ふと思ったことを書いてみました。

 

では。

「それやって何になんの?」って、ごめんそれわたしが一番考えてるよってお話(後半)

こんにちは。

今日は前回の続きを。

 

前回は、

「それやって何になんの?」という質問には2つの答えがあるということで、1つ目について書きました。

 

ということで今回は2つ目。

自分のためにどんな意味があるのか、について。

 

 

端的に答えると、

「そんなの自分次第じゃん」

という感じです。

 

どんな活動しても、自分が前向きにやらないと意味はないと思うし、

どんな活動しても、自分が適当にやってれば何も学ばないと思うし。

 

だけど、

どんな活動しても、なにか学び取ろうと思えばいくらでも勉強になるし、

どんな活動しても、頑張れば、それやった結果何にもならなかったわってことにはならないと思う。

 

実際に自分の実感としてそうなんですよね。

例えば失敗したプロジェクトでも、なぜ失敗したか考えることはいい経験になる。例えばリーダーがどうしようもない人だった時でも、振り回されるんじゃなくて自分がリーダーならどうするか考えるのはいい経験になる。

 

要は、視点をたくさん持ってよく頭を使えば何だって勉強になるよって話です。ちなみにわたしは、昔から学校のつまらない授業は、自分ならどういう授業をするか必死に考えて過ごしてきました。

 

批判的に「それやって何になんの?」って言ってくる人の話は、きっと自分の体験上手く活かすことが出来ないんだろうなってことで、聞き流すことにしてます。

 

ということで、気持ちはあるのに上手く言語化できない人の一助になればと思います。

 

では。

「それやって何になんの?」って、ごめんそれわたしが一番考えるよってお話(前半)

こんにちは。

 

今回はタイトルの、

「それやって何になんの?」

っていう言葉について。

 

課外活動やら色々やってると、よく言われるんですよね。面倒なので、「そのうち何かになるんじゃないですかね」なんて普段は答えてますが、

ここで今のところのわたしが持っている答えについて書こうと思います。

 

「何になるか」は大きくわけて2つあると思っています。1つはその活動自体の意義、1つは自分のためにどんな意味があるのか。

前半である今回は活動自体の意義について考えます。

 

わたしが少なくとも大学に入って関わったいくつかプロジェクトって教育系ばかりなんですよね。

 

教育ってどんな効果が出るかわからずに行うものだと思うんです。ある程度の期待はもちろんあるでしょうけど、基本的には誰も確信なんて持っていないし、終わってみても成果は測れないものであることの方が多い。

 

ということで、「何になんの?」へのわたしなりの回答は、

「教育は確実にどんな効果が出ると言えるものではないし、そんなこときくほうが愚か」

になります。

教育のそういうところ、実は大っ嫌いなんですけどね。

 

 

 

ここまで読んで、

「教育系はそれでいいけど、じゃあ教育系以外の活動は?」って思う方、いらっしゃると思いますが、

そのへんは正直よくわかりません。

 

周りの学生がいろーんなことやってますが、「それやって何になんの?」って、たぶんわたしが誰よりも言ってます。

「何にもならなくない?」と思うことも多々あります。

目的が見えないと、「楽しい」だけじゃ動けない性格なので。

 

まあ、それはさておき、

後半では、自分のためにどんな意味があるかについて書きます。

 

では。

「教育」を学ぶ者はそれ以外のことも知らなければならない。

 

こんにちは。

 

タイトルに書いてあることを、今日の朝何故かふと考え始めました。

今回はこれについて書こうと思います。

 

 

「教育の専門家はそれ以外のことを知らないからダメなんだ。」

これはわたしがある社会人の方から言われた言葉です(たぶんご本人はもう忘れていらっしゃる)。本当に教育の専門家がそうあるのかはわからないけれど。

 

その時は、「たしかに教育や教育学っていろんな分野と結びついているし、色々勉強しなきゃならないな」と思ったものですが、

今日の朝起きたら急に、違う気がしてきました。

 

同時に思い出したのはこの言葉。

 

「いい教育ってなに?どういう状態になったらいい教育できたって言えるの?」

 

これはまた別の方、ある先輩から言われた言葉です。

 

全く別のことだと思っていましたが、どうやらそうではないようで。

 

要はお2人とも、「教育は手段でしかなく、その手段を使ってなにをしたいのかがわからないと、そのためには教育以外のことも勉強しないと、何にもならないよ」と言いたかったのではないかと、思い始めました。

 

 

まあ、本当かどうかは知りませんけどね。

どちらもその時に、「と、言いますと?」なんてききかえしておけばよかったな〜なんて、後悔しています。

 

ということで、視野を狭めずに今年も色々勉強しようと決意した朝でした。