みーるのひとりごと

ただのひとりごとです。

「人を変える」なんて烏滸がましいと思いませんか

今日から、塾でアルバイトを始めました。

 

そう、ずっと嫌がってた塾でのアルバイトです。

 

嫌がっていた理由は、「教育が怖いから」という、周りの人からしたら意味のわからなすぎるものでした(単純に働きたくないっていうのも間違いなくあったけど)。

 

「人を変える」ってきいたら、ポジティブに捉える人がどれぐらいいて、ネガティブに捉える人がどれぐらいいるのか、ちょっとわたしにはわかりませんが、

普段軽々しく使う「教育」という言葉は、要は人を変えることだと思うんです。

 

そしてわたしは「人を変える」ことに恐怖しかありません。いい方に変えられればいいけど、無意識にかけた言葉が相手の人生に傷を残すことも十分にありえるわけで。わたしなんかがそんなリスクの大きな営みに手を出していいものかと、ずっと悩んで怯えてきました。

悩んで怯えつつわたしが関われてきたのはいつも単発で行う教育プログラムばかりです。

 

でもそろそろそうしてもいられないなとも思っていた時期にちょうどアルバイトの話をきいて、日常的に教育に関わるところに踏み込んでみようと。

 

そうして今に至るわけです。

 

まだ怖いですけどね。

 

精一杯笑顔で挨拶するところから始めようと思います。

「世界」ってなんですか

「世界」って大学に入ってから本当によくききます。

 

大学生は主語や目的語を大きくしたいお年頃だから?  くっきりとした現実に向かい合わなきゃいけなくなってきて、ぼんやり語りたい時期だから?

 

「世界を変えたいんです!」

「世界中の人々を幸せにしたいんです!」

「世界にインパクトを与えることをします!」

 

こんなのよくききます。

最初は、「でかいビジョンだな〜、すごいな〜」と思ってたけど、あまりにもよくきくので、最近は「世界ってなんですか?」ってきくようになりました。

 

ちゃんとした考え持ってる人は、どーぞそのまま突き進んでくださいという感じです。そうじゃない人は立ち止まって考えてねという感じです。

 

わたしなりの答えは、「世界=自分のもつ全ての知識の集合体」です。

 

ちょっと話とぶけど、究極の客観ってありえないと思うんですよ。ということは全てはある意味での主観なのです。

だったらいくら客観視しようと思って「みる」世界も、「自分がみる世界」でしかないわけで。

「世界」はどこまで知っても「自分がみる世界」にしかなりえないんじゃないかと。だから世界は自分が持つ知識の集合体です。

 

「なんかわかんないけど世界変えたいわ」っていう人に、言葉通りの目標を達成するだけなら、「自分が本の数冊でも読めば世界は変わるぞ」と思っちゃいます。

またこういうこと言うから屁理屈だって話になるんですがね。

 

「我思うゆえに我在り」って言うじゃないですか、要はそういうことなんです。

自分がここになんらかの形で存在してることはまず間違いないけど、それが本当に人なのかはわからないし、自分が他者だと思っている大好きな人々もみんな自分の思い込みかもしれなくて、「世界」は決して丸くなんかなくて自分の妄想かもしれないので。

 

本当にそうならよくもまあこんな複雑な「世界」を創り上げたなあとは思うけど、その複雑さを知るわたしも「自分の世界」を複雑にすることに毎日勤しんでいるわけで。

 

なんだかごちゃごちゃしてきました。

 

普段軽々しく使ってる言葉を定義しにかかるのは楽しいですね。

リーダーシップについて半年ぐらい考えてみた

「リーダーシップを身につける」みたいなフレーズ、よくきくけど、そもそもリーダーシップってなんなんだろう。

 

という疑問を持って、ここ半年ぐらいリーダーシップについて書かれてあるビジネス書や専門書を読んだりリーダーシップ論の講義をとってみたり色んな人に意見をきいてみたりしました。

 

 

結論よくわかりませんでした。

 

よくわからないという言い方は、説明することから逃げているので、正確ではないんですが。正しくは、「全てを把握しきれない」と言ったところでしょうか。

 

要は、要素がたくさんあって、みんながよく言う「リーダーシップ」はその集合体だなと思いました。逆に、これさえ出来てればリーダーシップがある、みたいなものはなくて。そうなってくると全要素を把握しようなんてとてつもない作業だし、現時点のわたしは出来ていません。

ただ、やっていく中で自分に足りないと思う要素は足していけばいいし、リーダーとして自分が大事にする要素は忘れないようにすればいいし、それでいいんじゃないかというのが結論です。

 

そう考えると「リーダーシップを身につける」っていう耳慣れたフレーズには違和感を覚えます。「身につける」というよりは「高める」「伸ばす」というイメージです。

 

でもこれらの言葉にもまだしっくりきていないので、なにかいい言葉がある人は教えてほしい気持ちでいっぱいです。

「幸せ」であるということ

「幸せとはなんですか?」

って問いのこたえを、もう1年以上も前に考え始めてからまだ結論が出ないまま、ぐるぐるずっと考えてます。忘れたころに問いかけられる難問。

 

これに関して、最近ふと思ったのが、「幸せであろうとすること」と「世界を広げようとすること」はともすれば相反することなのではないかということ。

ここでいう「世界」とはあくまでも自分からみた世界ということで「自分の持つ全ての知識の集合体」と定義します。つまり、たくさんの知識を得ることは幸せには繋がらないのではないかと。

 

「幸せ」とは、そこにあるものではなくて、目の前にあるものたちの感じ方の一種だと、わたしは思っています。

「美味しいものを食べて幸せだ」「好きな人と一緒にいられて幸せだ」「綺麗なものが見られて幸せだ」なんていうのは全て、その人の感受性によって成り立つものです。

 

だとしたら、「知識が増えること」はさらに素敵なもの、さらにすごいもの、さらに立派なもの、そんなものを知ってしまうことに繋がるのだから、「幸せ」を感じるための感受性は鈍ると思うんです。

 

そしてたぶん、多くの人はどこかのタイミングでそのことに気づくんですよね。だからあんなにも好奇心旺盛な人がずっと同じ場所に留まり続けてるのかーとか、だからあんなにも尖っていた人がどんどん丸くなるのかーとか。納得です。

 

もちろん例外もあるとは思います。知識を得ることそのものにこの上ない幸せを感じる人は、「世界を広げること」と「幸せになること」を同時に成し得ちゃいます。

そして、きっとそういう人が、「活躍する人」になるんだろうなーって。

そしてそして、そういう人わたしの周りに割と多いんじゃないかなって。

 

みーんな、幸せに世界を広げてね。両立するタイプじゃない人は、素直に幸せになればいいと思います。

 

おしまい。

20卒だけど19卒の就活イベントに行ってみた。

 

きのう、19卒向けの就活イベントに行ってきました。

ベンチャー企業が8社集まっていて、企業のプレゼンをきいたりグルディスしたり、という感じでした。

 

行ってみて思ったことを3つ書きます。

 

①19卒も20卒もそんなに変わらない。

グルディスやってみて思ったんですが、これに関しては先輩も後輩もそんなにかわりないですね。対策してるかしてないかの違いな気がしました。

3年になって対策すればいいし、1、2年生のうちは楽しいことやっとけばいいじゃん、って人と、とにかく何事もはやく始めるべき、って人がいて、

学生生活の過ごし方が就活に左右されるって、なんて面白い状況なんだろうと思いました(笑えない)。

 

②なんだかんだ「価値観」ってめちゃくちゃみられる。

個人ワークで、「幸せ」とはなにか、とか、「思考する」とはどういうことか、とか、記述式で書かされました。こういう設問、わたしの大好物です、ものすごく楽しかったです。

特にベンチャーって、どんどんピボットするところも多いので、事業そのものに関心があるというより、軸になっている理念や価値観にいかに共感できるかが、思ったより重視されてるんだなあと思いました。

 

③イベントに行くと普段会わないタイプの人がたくさんいる。

周りの人って大体思考の仕方や興味分野も似てるんですよね。みんな違うように見えるけど実はみんな近いところにいて。

だから、ぜんっぜん違うものの考え方をする人とか、普段全く話さない系統の話題を振ってくる人とか、たくさんいて驚きました。

でもこれが社会なんですよね。というか同じイベントに参加してるだけ彼らとわたしはまだ似ている方で、世界にはもっとたくさんのいろんな人がいるのに、忘れてたなあと。

 

 

という感じでした。

まだ考えるべき小難しい話はたくさんありますが、ざっくりとした所感はこんな感じです。

 

意識高い系さけてるけど、たまには色んな人をみるのもいいなあと思いましたとさ。

 

おしまい。

変な人にも普通な人にもなりたい普通の人のこと。

「あなたは変な人ですね」と言われて

喜ぶ人はどれぐらいいて

悲しむ人はどれぐらいいるんだろう。

 

答えは勿論知りません。

 

多くの人は、

「みんなとは違う自分」を積極的にアピールしたがるし、

「みんなとは違うこと」をしようとするし、

そうやって何かに自己の存在意義を見出そうとします。

 

一方でまた多くの人は、

「みんなとおんなじ自分」が大好きで、

「みんなと同じこと考えてる」ことを積極的にアピールし、

そうやって自分の居場所を定めようとするのです。

 

 

欲張りな人はこのふたつが強く両立して、

そんな人たちでコミュニティを形成します。

 

「変な人」が集まったコミュニティ。

「うちらみんな変人だよね」と、自虐に見せかけた魔法の言葉で安心するためのコミュニティ。

 

こんな安全な場所にいれば、コミュニティ内に帰る場所はあるし、一歩外に出れば変な人でいられる。

そんなコミュニティです。

 

 

 

でも、それって幸せなんでしょうか?

 

そんなコミュニティに属してしばらく経つと人は気づきます。

変な人にもなりきれない、普通な人にもなりきれない、自分に。

 

そうすると、幸せではなくなります。

自分が嫌になります。

 

こんな、「変な人にも普通なひとにもなりたい人」って、

実はたくさんいて、

実はそれこそが「普通の人」なんじゃないのかなと、

最近思っています。

 

「普通の人」って、

みなさんはどんな人だと思いますか?

「キャリア教育」は「何を教育する」のか

 先日、タイトルのことについて話す機会がありました。

 

 目的としては、高校でのキャリア教育の授業をどうするか決めるためだったのですが、数十分で考えるのをやめていい議題じゃないなと感じました。

 キャリア教育ってなにを教育するんでしょうか?

 一般的には、どんな進路があるのかという情報提供をしたり、あとはもっと専門的に、なにかしらの職につくための技能を教えたり、そういったことがキャリア教育と呼ばれているのかなあと思います。
 キャリア教育っていう言葉は広いですよね。職業教育も進路指導もぜーんぶひっくるめて「キャリア教育」。そりゃ、なにを教えるべきなのかわからなくても当然です。だけどそれを、「高校生が進路を選択するための教育」という範囲に絞って考えました。そこまで絞ってもなおやるべきことはたくさんあります。わたしはこれを、大きく2つにわけることができるんじゃないかと考えました。


 1つ目は、情報提供です。そもそもどんな進路があるのかを知らないと、選択もなにもありません。この情報提供は、必ずしも今ある職業や学校を教えればいいわけではないと思います。今はない職業につくこともあると思うし、むしろ新しいものを作り出す側の人間になってもいいはずですから。そう考えるとこの情報提供は、現在多くの高校で行われているものよりぐっと幅を広げることができる可能性があります。個人的に面白いだろうなーと感じるのは、もはや職業名がわからない新しいことをしている人の話を高校生にきかせることです。こういう生き方もあるんだということを知らせると同時に、中にはロールモデルを見つけられる子もでてくるんじゃないかなと考えています。
 2つ目は、進路について考える力をつけさせることです。こっちの方が情報提供より断然難しいだろうなと感じています。集中力のない子に難しいことを考えさせるのは無理があるし、考えることから逃げてしまう子も、考え方がわからなくて戸惑う子も、たくさんいると思います。高校生の時点で本当に一生をかけてやろうと思えることなんてわかっている人の方が少ないのですから。だったらどうすればいいかというと、これもまた、いろんな人の話をきけばいいと思うんです。ただし、どんな経歴でどんなことをしてきたという自慢話にならないように、選択をした時の考え方やきっかけを話すようにしてもらう必要があると思います。

 

 ということで結論。
 キャリア教育はわけわからんワークしたりわけわからん本を読ませるんじゃなくて、いろんな人の話をきかせよう、ってことでした。ただし話す人も高校生の参考になることを話すように、事前に趣旨をきちんと理解してもらっておく必要がありますね。そうじゃないと、よくある高校生がみんな寝てる講演会みたいになってしまうので。

 教育なんて確実はありえないし、響く人には響かせようぐらいな気持ちでいいんじゃないかなと思いました。

 

おしまい。